H27年12月の月例会
日程■12月20日(日)
待ち合わせ■15時@市ヶ谷駅前交番前→(その後、移動)
※いつものように何時に合流して何時に退去も自由です
■15時〜
●定例講(担:しか、40〜60分)
「論語集注を読む(爲政第二・第7章)」
孔子の「孝」を問うシリーズ第3弾
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■17時〜
忘年会(@「さくら水産」市ヶ谷店)
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前回、11月の月例会は【こちら】
前々回、10月の月例会は【こちら】
9月の月例会は【こちら】
(※8月の月例会は08/14(金)コミケ88東5-ピ22b「星天講」のお手伝いをもってかえました。新刊完売御礼申し上げます)
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H25年以降の積みネタメモ(むらさぎ担当分)
15)儒教受容史と近親婚との相克としての『古事記』物語
『古事記』下巻の物語群(仁徳天皇〜顕宗天皇、または継体天皇の石井の乱まで)についての新解釈。儒教を新時代の思想として信奉する人々と、あくまで土着の伝統(とくに近親婚)を守ろうとする人々との戦いという視点から『古事記』を史実として解読すると、こんなおもしろいことに…w
14)知られざる『万葉集』の意外な面
古橋信孝著『誤読された万葉集』(H16刊)から。奈良時代のイメージを破る意外な話、全15題のネタの中から、その場で面白そうなのをアラカルト方式で選んでもらってご紹介。
13)武烈必殺☆残虐の王権
H28年1月9日(土)は武烈天皇1509年祭。格別に区切りが良いわけではないが勢いで。「実在説vs架空説」はつまらんが前提を作るためやむなく検証した上で、暴君伝承が創作にすぎないという津田左右吉以来の通説を批判(?)、歴史上の(というか歴史学上の)位置づけを論証。ここまでは序章かつ表面、つか普通。その人物像と背後関係の深層を考察する当たりからそろそろ危険水域に入る。H13-14年(2001-2002)の頃の2chでは反天皇派から「武烈必殺☆残虐の王権」とよばれ大人気(これは「神武不殺☆平和の王権」のパロ)だった武烈天皇、その王権論の極北に迫る秘められた真実とは…!?
12)影武者徳川家康についての雑論
H26年1月2日(木)放送のテレビ東京開局50周年特別企画番組新春ワイド時代劇一挙5時間「影武者徳川家康」(西田敏行・観月ありさ)が面白かったので一つ。これは隆慶一郎原作、かつて漫画にもなった。もちろんその元ネタである明治時代の村岡素一郎『史疑徳川家康事蹟』への批判検討だけでもかなり広範で深いシリアスな問題(史実かどうかの問題ではなく)が潜むことも有名であるが、有名すぎてあれなのであえてふれない。正月の娯楽番組の気分で楽しく「ガチでなくネタで」いきたい。wikipediaには村岡説の系譜をひく影武者説しかないが、まったく別系統の数々の影武者説の総ざらえをオタク的に集大成。しかるのち、もし時間がゆるせば現代日本人の国民性を形作ったその源流である徳川社会とその雛形としての徳川家の文化・家風の由来を考える。すなわち徳川家康非実在説から解き明かす日本人論、…まで時間的にいけるかどうか。
11)大正天皇論
演劇「治天ノ君」観賞記念。大正天皇の人格、その理想としたもの、大正政治史の紆余曲折、明治帝から引き継がれたもの・引き継がれなかったもの、昭和帝に引き継がれたもの・引き継がれなかったもの。大正時代と平成時代の共通点と相違点。その他。
10)赤穂義士凱旋行
H25年は討ち入り310周年記念。その日の赤穂浪士の足取りをまったく同じコースで辿りレポート。東京には多くの様々な史跡があるが赤穂浪士の関係史跡も数多い。それらを実地で踏破した要所要所の史跡からつなげて、討ち入り事件を倫理問題・道徳問題として論ずる。オマケに映画『47RONIN』についての批評もあるかも。
9)隋の煬帝とその周辺
H25年4月、隋の煬帝の陵墓が発見されるというかなり本格的に重大なニュースがあったにもかかわらず、ネットではほとんど騒がれなかった。しかし過去の歴史に関する新発見は、歴史意識をもつ者にとって常に現代へのメッセージという含意をもたざるをえない。これを機会に隋の煬帝とその周辺について再論し、現代に通じる歴史的意義の新発見につなげたい。ただし、いまどきいかにもありそうな聖徳太子との対比という安直な議論ではなく世界的国際関係という観点と煬帝自身の人物像や彼の歴史的(国際的・民族的)背景に注目したい。その中で改めて当時の日本の問題も浮き彫りになる。
8)「ライダーマン」に表れた石ノ森章太郎のルシファー倫理学
H25年の12月8日は大アジア解放72周年だったが、ライダーマン40周年でもあった。いまどき誰が知ってるんだ、誰が来るんだと危ぶまれたイベント(握手会・撮影会)は老若男女で大盛況。歴代仮面ライダーの中で、著しく特異で異端きわまるその存在と魅力…。ライダーマンとは如何なるストーリー、如何なる受容史をもった、如何なるキャラクターなのか。なぜ魅力的であるのか。その存在の思想的意味とは。正義と悪を問題とする特撮ヒーローだからこそあらわになる石ノ森思想の深層。
7)「教育勅語」と「国民学校唱歌」
戦前の国民学校唱歌の中から、ウヨ的に良さげな歌をたくさん紹介。古文の勉強や歴史認識に資する上、共感しやすく、政治思想的にもたいへん望ましいという至れり尽くせりなものがかつて存在した。これは素晴らしいので知ってほしい。それとウヨでありながら教育勅語を日頃忘れているのは嘆かわしいことなのでそのおさらい的なことを。
6)『二重王制と現代日本の保守思想』
H25年11月の月例会での栗本慎一郎のこだわりの一つ、「二重王制論」について何か重要な論点がいくつも落ちている気がするので、世界の諸例、原初の王制の三機能との関係、現代日本にそれらがもたらしている思想的問題など、もう少し念入りに再検討を加えます。
5)『宗教ファシズムの現在』
オウム真理教事件前夜にヒットした武田崇元著『出口王仁三郎の霊界からの警告』が再販されている。時期をあわせて(むろん宣伝のためだが)現在発売中(2013年11月現在)の『ムー』2013年12月号でも戦前の出口王仁三郎のオカルトファシズム運動が記事となっている。だがそれは今も可能性として残されているのか? 高度成長、バブル、IT革命を経て、社会構造と文化情況、共同体のかたち、コミュニケーションのありかたはどう変わってきたのかを踏まえた上で、いまだにオカルトファシズムの夢を語る先輩たちははたして賢人なりや老害なりや、今こそ審判をくだす。
4)『滅亡論序説〜または「反伝承学」の思想〜』
『ムー』的な終末予言の類から科学的予想まで広く対象とする。単なる「災害論」としても読める内容にしたいがその一方で、破滅の主体を世界・日本・個人の人生の破綻の3つに分け、実質滅亡しているのにそうは認識されない状態と滅亡してないのに滅亡していると認識されている状態とを比較し、滅亡の定義とその本質とは何かをさぐる。また、たんに滅亡の要因や可能性を論ずるのみならず、不幸な偶然で済まそうとする心理と天罰論のような意味付けを欲する心理という相反する傾向を滅亡という概念の内に醸成され外に発散される思想性として考察。その背後に、世界の諸神話につながる精神世界を想定したいが通常の神話理解ではなく地質学の自然科学を思想的にどう抱え込むかという問題意識を忘れたくない。それは思想=世界認識のありかたに無関係なはずがない。伝承や伝統はいうまでもなく不変性ではなく漸進改革であり「継承の不確定性」に他ならず、同一事態が視点をかえれば継承とも断絶ともいえる、それが伝統である。滅亡の本質は「事件性」にはなく「歴史性」にある。
3)『国生み神話と最新科学』
伊邪那岐命・伊邪那美命が天之沼矛をさしおろして塩こうろこうろにかき鳴し大八洲を生んだという「国生み島生み」の神話を、擬似科学的に説明しようという試みは江戸時代からあり、戦前まで様々な説が神道霊学の諸派によってなされてきた。ところで、H25(2013)年9月5日、英国科学誌「ネイチャージオサイエンス」(Nature Geoscience)で、太陽系で最大規模の超巨大火山「タム山塊」(Tamu Massif)を発見したとの論文が発表された。この火山は日本の東方約1600キロに位置し、約1億4400万年前の噴火で吹き出した溶岩でできている。面積は英国とアイルランドの合計に匹敵、高さ約3500メートル。この新発見が、これまでの国生み神話の科学的解釈に対して、補強か批判か、証明か反証か、どのような影響を与えるのかを解説。
2)『秦始皇帝2 〜誰も知らない、統一できた本当の理由〜』
H25年9月の月例会での秦始皇帝についての諸議論の補足。大事な点なのでぜひとも補足しておきたい。しかしこれだけだと分量が少ないので、何か加えます。秦氏のルーツとか何か。
1)『篤胤の「古道大元顕幽分属圖」2 〜五行神と祓戸神〜』
H25年10月の月例会でカバラのセフィロト(生命の樹)との比較分析をしましたが、その中で時間的制限により、五行神と、祓戸神をめぐる各種の議論が出来なかったのでそこらを補足します。
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