檄文(By丸嶋飄々)
今を去ること、一四〇年前、新潟、東北の地において戦われた戊辰戦争で奥羽越列藩同盟が敗北した。一体、この戦が何のために行われ、彼らがなぜに戦い、死んでいったか。今日に至るまで、それを知る者は多くはない。歴史教科書に至っては、いまだに、この戦争は時流の見えない東北諸藩が幕府のために戦った、という誤った認識のもとで記述がなされている。そもそも、鳥羽・伏見、列藩同盟、函館と目的も性質も異なる戦いを「戊辰戦争」とひとくくりにすること自体が、どだい間違っているとしか言いようがない。書籍によっては、同盟を「旧幕府軍」を称するものさえある。北京オリンピックで浮かれている場合ではない。
(ふー、ちょっと一休み)
おおざっぱに言えば、会庄をまず救い、かなわずば薩長を倒す。同盟の目的はこれにある。残念ながら同盟は敗北を喫し、勝てば官軍とはよく言ったもので、勝った薩長がその後の歴史を都合良く教え始めた。今日では、金銭の多寡で勝ち組、負け組と称するなど、利潤追求に汲々とする風潮がはびこり著しい。役人は、税金で私服をこやし、その腐敗は目に余るものがある。だが、今日の利益追求に堕す世情、役人腐敗も、もともとは、勝てば官軍の連中が天下をかすめ取って作った明治維新から始まったのではなかろうか。
せちがらい人の世であっても、決して利潤追求だけがこの世の全てではない。志や筋、義というものがある。そういったものに、一銭にもならずとも殉じたのが同盟ではなかったか。東北とはちょっと離れるけど、幕府役人に小栗上野介あり。彼は、例え幕府滅びるとも日本のために必要なことはやるべしとの志で、横須賀製鉄所を建設するなど、その策明治を先取りするも、罪無くして斬られた。越後の河井継之助、もはや日本人同士で相争っている場合ではないと、会庄討つの愚を筋道たてて西軍に説くも、飢えたる虎狼のごとき西軍に人の言葉は届かず。やむなく戦うもついにはす。会庄救うことこそ義なりと同盟軍戦うも、多くが無念に死せり。
あの戦乱から一四〇年の今こそ、彼らの戦の真意を理解しなければ、彼らの死は無駄になる。お盆に彼らの魂が現世に帰るも、落ち着かないことこの上なきことであろう。ここに、戊辰戦争一四〇周年慰霊鎮魂ツアーをせんと欲す。今こそ戦場となった地を巡り、無念の魂を悼み、ついでにご当地の温泉につかり、珍味を食らう。鎮魂とともにレジャーも満喫するという盛り沢山な内容。
意を同じくする者は、子の星の旗の本に集わん。
日程
18日 昼頃出発 倉渕宿泊
19日 長岡 只見宿泊
20日 会津宿泊
21日 東京へ(20時までに車返す)
倉渕
・顕彰慰霊碑 小栗斬首の地 東善寺 小栗墓
長岡
・長岡城址 河井継之助記念館 山本五十六記念館 栄凉寺 河井墓
只見(河井終焉の地)
・医王寺 河井墓 河井継之助記念館
会津
・鶴ヶ城 白虎隊記念館
この他、可能なら、二本松、白河
適宜、温泉
・ 本ツアーにおいては、薩長が主導し、「官軍」と僭称する輩は、「西軍」もしくは「賊軍」と呼称する。
・ 行動は日程に沿うを原則とするが、交通事情、その日の気分などの諸事情よっては、柔軟に変更し、細部はその都度参加者により協議するものとする。
・ 宿泊先は、宿が取れれば泊まり、無理な場合は、車中泊またはテント伯とする。
(企画&文面/丸嶋飄々)
2008/08/19
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