H26年9月の月例会と【お月見の宴】9/4更新
場所■14時〜、@「新選組屯所」(聖蹟桜ヶ丘よりバス、詳細は個人メールでお問い合わせ下さい)
時程■※何時からどの段階からの参加でも自由です
15時〜、月例会・第一講「日本国号の起源:『扶桑国』からの影響」
16時〜、月例会・第二講「論語集注を読む(学而第一・第12章)」
17時〜、素読会(←詳細はリンク先)
18時〜、奉祝!悠仁親王御生誕八周年「秋の味覚先取りスペシャル【お月見の宴】秋刀魚と茄子を楽しむ夕べ」
それぞれの内容■↓
15時〜 月例会・第一講
「7月の月例会「倭の五王と扶桑国」の補遺
日本国号の起源:『扶桑国』からの影響」
担当:むら
H23(2011)年、西安で出土した百済人禰軍の墓誌はAD678年(唐:儀鳳三年/日:天武七年)に作られたものだがそこには「日本」のが書かれた最古の資料であり学界の内外で大きな話題になった。それから三年、いまだに歪曲古代史のネタにされている(韓国人「『日本』と言う国号は日本にふさわしいのか?元は百済の名称ですよね」韓国の反応翻訳ブログ)ようであるし、わが月例会でも薄ら薄らに触れることはあってもこれまであまり詳細には取り上げてこなかった。しかし奇遇にも前日9月6日はその百済にも縁深きコウヤマキ(高野槇)をお印となされる悠仁親王殿下のお誕生日であり、畏くも悠仁親王殿下は将来必ずや百済復興の大業をとげさせたもう聖天子となられるお方と拝察し奉る次第である。ところで、H25年11月の月例会「神道国際学会レポ〜くりしん超古代史〜」での栗本慎一郎のこだわりの一つだった「壬申の乱・天智天皇と天武天皇」は、H25年8月の素読会でも平家物語の中で話題にでた。この大乱が我が国の国号が「倭」から「日本」に変更された契機になったと考えられることから、通常、日本国号の起源・発祥を古代史として論ずる場合、うっかり壬申の乱への視点をベースに立論したくなるが、あまりにありきたりで凡庸な議論は当会では極力さけたいと思う。むしろ先々月7月の月例会「倭の五王と扶桑国」が中途半端に終わっているのでその続編・補遺を兼ねて、1)倭から日本への改号に扶桑国の存在が影響したこと、2)天皇という称号の起源の一つとされる「天王」号の背後に仏教があったこと、3)高句麗・百済・新羅・日本・扶桑国の5カ国への仏教伝来ルートが蛇行していることから読み取れる当時の国際情勢、の3点から、日本という国号にせよ天皇という称号にせよ、その起源に実は扶桑国が重要な関係をもっていたことを解説する予定。このうち今回は「日本」という国名について。「天皇」という称号についてはまた次回。
16時〜 月例会・第二講
「論語集注を読む(学而第一・第12章)」
担当:しか
調和と調和のいきすぎからくる馴れ合いを防ぐ作法。親しき仲にも礼儀あり云々。
17時〜 素読会(詳細リンク先)
18時〜 奉祝!悠仁親王殿下御生誕八周年
「日本人に生まれてよかった!秋の味覚先取りスペシャル
【お月見の宴】秋刀魚と茄子と蟹とつぶ貝を楽しむ夕べ」
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8月の月例会は【こちら】
7月の月例会は【こちら】